こうした CP の子供を長いあいだ育てる親の苦労は、健康児を育てる場合の、おそらく「何十倍」ではなく、「何百倍」くらいだろうと思われます。この種の苦労は、体験者以外にどうしても想像しにくいものでしょう。しかも、そのような苦労の末に幸い成人することができたとしても、生涯を重症身障者として生きなければならぬ子の未来を考えると、まことに救いがないように思われ、この福祉後進国日本ではことさら、それが身体的苦労以上に親への心理的重圧となって加わります。
(中略)
ともかく母は、思いなおして帰ってきました。思いなおすに至った経過はわかりませんが、このとき母が共に生きる決意をしたことは、家族みんなにとってまことに幸せでした。けれども、節子の側から考えてみると、これは父や私の考える程度の「よかった」次元のものではない。むろん妹はまだ何も知らぬ赤ん坊ですが、少なくとも当人は「死にたい」などと思ってはいません。母とともに心中させられるということは、要するに殺されることであります。いかに未来が悲観的であろうと、それは親が考えてのことであって、当人が考えてのことではない。とすれば、このとき母が思い直したことは、ほかならぬ母親自身にとってこそ、真に幸せな決断だったと考えられます。以後ずっとのちまで、母が節子のことを「仏さまだでなあ」と、冗談にまぎらわすようにして話していたのは、このあたりの感情を庶民的に表現していたのかもしれません。
(中略)
脳性マヒに限らず、どんな身体障害者にしろ、障害だけが理由で心の底から死にたい、自殺したいと考えることが、ありうるでしょうか。なるほど自殺した身障者は、死にたいから自殺したのでしょう。しかし、なぜ死にたいと考えるようになったかを検討すれば、おそらくほとんどは、障害自体によるのではなく、障害を原因とするさまざまな差別や貧困行政によって「自殺させられた」のであり、要するに殺されたに等しいことがわかります。みんな、生きたいのだ。どんなに不自由でも、健康な人が生きたいと考えるであろうと全く同様に、生きたい。いや、むしろ不自由だからこそ、そのことを積極的に意識しています。健康な人間は、重病にかかって初めて生きたいと思う例が多いようですが、身障者は障害そんな心境で生きているのだとも言えましょう。
(中略)
そのような CP 者自身の叫びを、最近タイプ印刷された二冊の本で読みました。いずれも「青い芝」神奈川県連合会の、横田弘氏による『炎群』と、横塚晃一氏による『 CP として生きる』です。そこには、たとえばこんな言葉が書かれています。
「なぜ彼女(子殺しの母)が殺意をもったのだろうか。この殺意こそがこの問題を論ずる場合の全ての起点とならなければならない。彼女も述べているとおり『この子はなおらない。こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ』と思ったという。なおるかなおらないか、働けるか否かによって決めようとする、この人間に対する価値観が問題なのである。この働かざる者人に非ずという価値観によって、障害者は本来あってはならない存在とされ、日夜抑圧され続けている。
障害者の親兄弟は障害者と共にこの価値観を以って迫ってくる社会の圧力に立ち向わなければならない。にもかかわらずこの母親は抑圧者に加担し、刃を幼い我が子に向けたのである。我々とこの問題を話し合った福祉関係者の中にも又新聞社に寄せられた投書にも『可哀そうなお母さんを罰するべきではない。君達のやっていることはお母さんを罪に突き落すことだ。母親に同情しなくてもよいのか』等の意見があったが、これらは全くこの”殺意の起点”を忘れた感情論であり、我々障害者に対する偏見と差別意識の現われといわなければなるまい。これが差別意識だということはピンとこないかもしれないが、それはこの差別意識が現代社会において余りにも常識化しているからである。
あのソンミ事件の例を上げればはっきりしよう。ベトナムの民間人を数百人殺害しその責任を問われ、終身刑を言い渡されたカリー中尉に対して『かわいそうなカリーを救え』『カリーばかり責めるのはおかしい』と白人世論が沸騰した。それに押されてニクソンは大統領権限を以って事実上無罪に近い待遇を与えている。又、日本人農婦を殺し日本の裁判にかけられたジラード二等兵に対しても、子羊ジラードを救えと白人世論は盛り上った。白人にしてみればアジア人は異教徒であり蛮族であり、自分たちの作ってきた正義観、道徳観の論理などを当てはめるには当らない。ましてや自分達より劣った蛮族の裁判を我が白人が受けるのは何としても我慢がならないというのである」(『 CP として生きる』〔注〕から)
「『植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は、社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から<われわれを大事にしろ>などといわれては、たまったものではない』
これは、『週刊朝日』一九七二年一〇月二七日号「安楽死させられる側の声にならない声」という記事にある元国会議員で「日本安楽死協会」なる物を作ろうとしている太田典礼の言葉だ。私たち重度脳性マヒ者にとって絶対に許せない、又、絶対に許してはならないこの言葉こそ、実は脳性マヒ者(以下 CP 者と云う)を殺し、経済審議会が二月八日に答申した新経済五ヶ年計画のなかでうたっている重度心身障害者全員の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情である事を、私はまず一点押えて置かなければならない。
今迄、 CP 者(児)が殺される度に繰返されている施設不足のキャンペーン、或いは殺した側の親を救えという運動、その本質にある『無用の者は、社会から消えるべきだ』とする健全者社会の姿勢を変えない限り、つまり、障害者を肉体的、精神的に社会から抹殺しようとしているのは、決して国家に代表される権力機構だけではなく、障害者福祉を大声で云い続けている革新政党、『障害者』解放を権力闘争への一過程として組入れている新左翼の諸君を含めた、もっと云うならば、私たちを此世に送り出した直接の責任者である筈の親の心にゆらめく健全者の幼いほむらのなかに見据えない限り、障害者運動の出発はありえないのではないだろうか。今迄私たちが行なってきた、そして大多数の障害者が今でも行ないつつある、障害者を理解して貰おう、或いは一歩でも二歩でも健全者に近づこうとする運動が通用する程、現在の私たちを取巻く状況は甘くない事は確かなのだ」(『炎群』から)
右の太田典礼の論理は、全く別の例でいえば、現在全国で進行中の「開発」の論理と酷似しています。「社会の幸福、文明の進歩のために」新幹線や成田空港や発電所や工場建設予定地の住民が、機動隊によって蹂躙 される。これは侵略者が虐殺をするとき、合州国の白人が先住民(いわゆるアメリカ=インディアン)を、日本軍が中国人を、ナチ=ドイツがユダヤ人を、米軍がベトナム人を虐殺するとき、常に使ってきた論理であります。
弱者や少数者を消す論理。まさにこの論理こそが、それこそ「社会の幸福、文明の進歩のため」の、ほんとうの敵ではないでしょうか。
〔『潮』一九七四年一一月号〕
(本多勝一。「母親に殺される側の論理」。『殺される側の論理』。朝日文庫。朝日新聞社。1982年。10-16頁。)
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在日米軍犯罪・事故 21万件 1952~2010年度/日本人1088人 犠牲に
http://mail.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-08/2011090801_01_1.html - しんぶん赤旗
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