2012-02-29

つづき、橋下はしもととおるさんの『まっとう勝負!』について。

橋下はしもととおるさんの思考しこうかぎとなる言葉ことばは「利益りえき」と「復讐ふくしゅう」だとおもいます。そして行動こうどう手段しゅだんとして「ルールのすきく」があります。

利益りえき」は見返みかえりとされていて、これと「復讐ふくしゅう」は、「~されたから、お返しに~する」とあらわせます。

これは理由りゆうべているので、一見いっけん論理ろんりてき主張しゅちょうのようにみえますが、たんに、なにかをしてあげる対象たいしょう限定げんていしているだけともみなせます。

「おかね支払しはらったものに利益りえきあたえる」というかんがかた対立たいりつするのが「みんなと共有きょうゆうする」というかんがかたです。
加害かがいしゃ復讐ふくしゅうをする」というかんがかた対立たいりつするのが「みんなに人権じんけんがある」というかんがかたです。

「みんなと共有きょうゆうする」「みんなに人権じんけんがある」というかんがかたは、理由りゆうづけによって対象たいしょう限定げんていしません。

「~されたから、おかえしに~する」というかんがかただけをすると、ひといのちうばうことにいきつくとわたしおもうし、それはいま日本にほんでもある程度ていど実現じつげんされています。

また橋下はしもととおるさんの思考しこうにもすでに言葉ことばとして表現ひょうげんされています。

どこで歯止はどめをかけるかだとおもいます。

どちらの主張もそのとおり!評価する基準時が双方異なるのだから、主張が異なるのは当たり前だ。当時の状況下では、「開戦やむなし」と判断せざるを得なかったでしょう。だけど、結果として多くの方々が不本意に亡くなられたことを是とするわけにもいかない。評価する基準をどこにおくかは、価値感の違いなので論争しても意味がない。私はこちらの立場に立つ、といえばそれで終わり。論理的に相手を論破することなどできない問題なんだ。
(145-46ページ)
「結果として多くの方々が不本意に亡くなられた」だから「是とするわけにもいかない」というのは立派りっぱ論理ろんりです。

ここで「是とするわけにもいかない」といながら、つぎ瞬間しゅんかんにはそれをひるがえ橋下はしもととおるさんの思考しこう論理ろんりてきです。


国家は、どんなにだらしない国民であっても保護する義務があるはずだ。当然でしょ、政府は国民の出したお金で成り立っているんだから。
だからって、なんでも無条件に保護できるわけではない。そこで明確な線引きが必要になってくるんだけど、これは「自己責任論」じゃなくて、被害に遭っている国民を救出する利益と救出することによってその他の国民が受ける不利益の比較で考えるべきなんだ。
出会い系サイトに足を踏み入れて犯罪に巻き込まれた少女を警察が助けるのは、救助することによって他の国民が不利益になることはないからだ。そして救出することは、犯人逮捕にもつながり同様の犯罪を抑えることになって、そのまま国民の利益にもなる。それならば、かかった警察の費用は税金によるものだけど、被害者に請求すべきでない、といった具合にね。
冬山で遭難した人の場合は、救出することによって他の国民が不利益を被ることがないから救出すべきなんだ。ただし、その人を助けても他の国民の利益になることはないから、国は捜索費用を請求すべき、となる。
(159-60ページ)

だいたい、「更生」って”誰のための””なんのための”ものなんだ?
非常に哲学的だけど、一般的には「罪を犯した少年のためのもの」と考えられている。だけど更生させるためには金がかかる。なんで、罪を犯した少年のために莫大ばくだいな税金をつぎこまなきゃならないんだよ。
「更生」の” 対象”は、確かに罪を犯した少年だけど、それは”その少年のため”のものじゃない。少年を更生させるのは、「社会が利益を受けるため」のものなんだ。
この視点を見失っちゃうと、なんでもかんでも「少年の更生!」とバカのひとつ覚えのように叫んでしまう。
いいかい!僕らは罪を犯した少年に立派な青年に立ち直ってもらい、”社会のため”にがんばってもらいたいからこそ莫大な税金をつぎ込んでいるんだよ。あくまでも”社会のため”に更生させるんだ。
(中略)
僕の基準では、被害者に取り返しのつかないような甚大な被害を与えた場合、とくに殺人と強姦に関しては、もう更生させなくてもいい。そんな少年を「更生」させて「社会の利益」にするよりも、被害者の復讐ふくしゅう感情を果たさせてあげるほうが、よっぽど社会の利益になる。
もともと、被害者は「復讐権」を持つ。「目には目を、歯には歯を」というヤツね。当たり前でしょ。だけど、これを好き勝手に認めると社会秩序が乱れてしまう。だから私的復讐権を被害者から取り上げるかわりに、国が被害者の復讐を果たす。昨今のひどい事件に対する温情的な判決を見ると、裁判官には「被害者の復讐権を代行するんだ」という使命感に乏しいと感じる。1999年に山口県光市で起きた(中略)事件の判決なんてムチャクチャだったよ。(中略)宅に押し入り、妻を暴行の上、殺害。11か月の娘まで床に叩きつけて殺害した当時18歳の少年に下された判決は、一、二審とも無期懲役。2006年、その無期懲役の判決を最高裁が広島地裁に差し戻す判決を下したことが、大きく取りあげられた。無期懲役っていっても少年の場合は7年で仮出獄が認められうる。更生の可能性があるとかないとか議論されてるけど、そもそもなんであの少年を生かし、更生を期待しなきゃならないんだよ!
このまま被害者をなおざりにしたような判決が続けば、しまいには被害者は自分で復讐することになる。社会は大混乱だ。社会を安定させるために、更生よりも厳罰を与えること、つまり死刑判決が必要な事件もあるんだ。厳罰を与えても、犯罪は減らないかもしれない。だけど、被害者の復讐感情は果たされる。これが重要なんだよ。
”酒鬼薔薇”にしたって、被害者の復讐感情を考えれば、少なくとも被害者には、すべての情報を伝えるべきなんだ。そして、少年の更生よりも被害者の復讐権を重視すべきだ。なんでも少年の更生のためといって、加害少年の情報を封印したがる奴よ!殺人・強姦凶悪事件の元加害少年を、てめえの知らないうちに、そっと隣に住まわしてやろうか!
(76-79ページ)

どれだけ非情な事件を起こした少年であっても、生い立ちを探り、なぜそのような非行に走ったのかを検証するでしょ。
それは少年に同情しているからではない。少年だけを単純に罰しても意味はなく、なぜ非行に走ったのかを解明して対処しなければ真の解決にはならないからだ。
(151ページ)
ここでは橋下はしもととおるさんは少年しょうねんひととしてて、いかにふせぐかをかんがえています。

僕が通っていた高校では、プールを休んだら必ず別の日に、その日の授業で泳いだ距離と同じだけ泳がなければならなかった。1回の授業で大体700メートルくらい。風邪で休もうが、ばあちゃんの葬式で休もうが、とにかく休んだら別の日の昼休みや放課後に泳がされる。僕は、所属してたラグビー部の試合のあった翌日は勝手に自主休校としていたし、そのほかちょくちょく休んでいたので、泳がなければならない距離があっというまに1万メートルを超えちゃったわけ。
これを毎日、消化するのは大変でね。2年生のときには、11月になっても泳いでたよ。水は緑色に濁って、そういや死んだ鳩まで浮いてたな。距離をごまかすのも無理。キッチリと体育教官が教官室からカウントしてやがんの。
これにりて、3年生のときはほとんど休むことはなかったけど、罰が嫌だから、ちゃんとやろうと決意しただけ。改心したわけでもなんでもない。
(88ページ)
「改心したわけでもなんでもない」のなら、しん解決かいけつになっていないとおもいませんか?


でもね、一般市民が必要としているのはそんな弁護士だけじゃない。熱い心と、枠を飛び越える非常識な思考回路、常識的に考えればそれはムチャだよ、ということをなんとか押し込む弁護士が重要なわけ。そんな弁護士になるような人間が一番不得意なのは、この適性試験みたいな問題だよ。
(17ページ)

求められるのは、自分の意見を押し通す力。自分の意見・結論に合わせて、前提事実を作っていく力だ。与えられた前提事実に縛られる公務員的発想とは、ここが根本的に異なる。だから、常識的にはこういう結論になるという考えを打ち破ることができるし、自分の結論に合わせて常識を変えちゃうことだってできる。詭弁きべんになることも多いけどね。
(22-23ページ)

僕が弁護士を志した動機は、僕自身がいわれのない制限におびえたくなかったからだ。世のルール、すなわち法律を知れば知るほど自分の動ける領域が広がるだろうとね。それと同じで憲法をしっかりと学べば、どのような表現が差し止めを食らうかは、一目瞭然。どんな差し止めが国民にとって危機的なものなのかもよくわかる。
(120ページ)

現在の世界は激烈な競争社会。なんとなくの暗黙のルールに縛られて自己規制していたらアッという間に取り残される。明確なルールのみが行動の基準であって、明確なルールによる規制がない限りは何をやっても構わないんだ。
「こんな卑怯なことは許せない」みたいなことをいいたがる人は多いけれど、卑怯かどうかは個人の道徳や倫理であって、他人との関係は明確なルールのみで規律すべきなんだよ。
これだけ価値観が多様化した社会で道徳や倫理を持ち出したって、おのおのが持っている道徳観、倫理観が違うんだから意味がない。それに道徳や倫理を基礎とする暗黙のルールというものは危険だよ。だって、権力者の都合でルールが勝手に変えられたりするんだから。
明確なルールだけを行動基準とすると、ルールの隙を突いてくる奴が出てくる。そしたらルールを改正する。それでもまた抜け道を探す奴が出て……。これはいたちごっこかもしれないけれど、この繰り返しで社会は発展していく。
(中略)
国際社会でもそうだよ。中国にしてもロシアにしても北朝鮮にしても、日本とは価値観がまったく違う。明確なルールとして一応認められているのは国際法のみ。そしたら、国際法というものだけを考えてふるまわないといけない。そして、国際法で決められていないことは何をやってもいいんだ!という意気込みでないと。
(中略)
もちろん、こんなスタンスで友だちづきあいをやったら駄目だよ。あっという間にひとりぼっちになってしまう。友だち同士でルールの隙を突く必要が出てくる競争の場面は、皆で風俗店に行ったときの受付のときくらいでしょ。
(209-11ページ)
「こんなスタンスで友だちづきあいをやったら駄目」ということは、友好ゆうこう関係かんけいをきずこうとするときには、橋下はしもととおるさんのうことをしては駄目だめだということですね。


ちなみに、まえ記事きじのコメントで実名じつめい報道ほうどうひかえることについてわたし賛同さんどうするといましたが、橋下はしもととおるさんが同時どうじっている、そのかわりに逮捕たいほ積極せっきょくてきおこなえるという主張しゅちょう危険きけんです。

治安維持の観点だけでいえば、捜査機関は「逮捕」を積極的にするのが理想的だ。”逮捕の事実”が匿名報道になれば、捜査機関は心おきなく逮捕できる。そして容疑がなければ釈放。逮捕された側も約20日間の勾留こうりゅうはきついけど、実名報道がなければまた社会復帰できる。
(135ページ)
冤罪えんざいまれやすいとおもいます。

自分じぶんでおっしゃっているように、「治安維持の観点だけ」、管理かんりするがわ観点かんてんだけによった主張しゅちょうです。


以下いかはおまけです。

「表現の自由」は、民主主義を守るもっとも重要な権利ともいわれてる。だけど、そもそも民主主義はなんのためにあるのか?
答えはこれもまた、「個人の尊厳」を達成するため、な んだよ。
国民が自らの意思で国政のあり方を決定していく。それによって個人の尊厳が達成される。その民主主義を実現するためには、国民が知っておくべき情報がある。そのために「表現の自由」が重要であると考えられてるんだ。
(122-23ページ)

メディアの公共性・公益性で、もっとも重要なのは、公権力に対する監視機能。これに国民は一番信頼を寄せているけど、メディアはいつも弱者ばかりにたかって、強者には切り込まないのが現実だよね。
(113-14ページ)

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