「日の丸」「君が代」が国旗や国歌にふさわしいかどうかは大人になってから考えればいいんだ!ガキにとって卒業式は重要な式典であって、「日の丸」を掲げて「君が代」を歌うことが教育カリキュラムのひとつ。因数分解に二次方程式、サイン・コサイン・タンジェント……、と、生きていくうえでほとんど役に立たないことをずっとやらされてきたでしょ。それと同じ。とにかく歌ってりゃいいんだ。思想や良心だなんて、クソガキが考える必要はゼロ。何が歌わない自由だ!それなら「授業を聞かない」自由、「学校を休む」自由、「チ×ポを出す」自由まであるかっていうの。
(89ページ)
やっぱり被害者が出てからじゃないと何もできないのか?
それは違う!国が事前に危険な奴を隔離できないなら、親が責任を持って危険な我が子を社会から隔離すればいいんだ。他人様の子どもの命を奪うほどの危険性がある奴に対しては、そいつの親が責任を持って、事前に世のなかから抹殺せよ!
苦渋の決断で我が子を殺した親に対しては、世のなかは拍手を送ってもいいだろ。国に代わって、世のなかに代わって、異常・危険分子を排除したんだからね。
(中略)
同情すべきは、我が子が他人様の命を奪う危険性があると気づいたときに、それを見かねて我が子を殺害した場合のみ――。社会から隔離すべき危険な鬼畜野郎は、国の代わりに親が抹殺できると。親の側は子殺しの覚悟を決めやすくなるし、鬼畜野郎の手にかかる被害者も減るだろう。
「親に、子どもの命を処分してもいい権利を与えよ」というと、「親の虐待を助長することに繋がる」と反論する人が出てくるだろうね。だけど、親に究極の権利を与えると、却 って虐待も防ぎやすくなるんだよ。虐待を防ぐには、親を指導したって無理。我が子を虐待するような親に対して、口でいって聞くはずがないからね。社会が親を監視していかなくちゃいけないんだ。親に究極の権利を与えるかわりに大きな責任を負わせるんだ。
(中略)
親に微々 たる権利しか与えないからこんな結論になっちまうんだ。親に子どもの命を処分できる”究極の権利”を与えれば、親がその権利を適切に行使しているのか、社会が、警察が、つねに必死になって監視する必要が出てくる。虐待の疑いがあれば、警察はその家庭に踏み込んで、親が子どもの命を”不条理に”処分することを阻止しなくちゃいけない。究極の「権利」を与える代わりに、いつでも警察に踏み込まれる「責任」を負わせる。これでバランスが取れるわけ。
(95-97ページ)
「戦争がなぜ悪いのか」という問いに対して、根本を考えると、答えはただひとつ。「戦争に賛成していない者が、意に反して命を落としてしまう」という一点に尽きると思う。
自分の意思で戦いたい者同士が戦うことはなんの問題もないでしょ。だけど多くは、なんの罪もない子どもや、自分だけは助かろうとしている狡猾 な指揮官の部下たちが死んでいく。そして、いいだしっぺの奴や、「戦場に行け」と人に命令するだけの奴ばっかりが生き残るんだ。
これまでの歴史を見たってそうじゃない。戦争なんてしょせん、トップの奴が生き残るためのものなんだよ。
(中略)
だいたいね、”正義とは何か”なんていえる奴はいない。その人の価値観によって変わってくるからね。欧米の価値観とアラブの価値観は違うんだから、正義が相互に異なるのは当然で、アラブの常識は欧米の非常識、欧米の常識はアラブの非常識なんてことも多々ある。弁護士の常識は世間の非常識だからね。
正義の中身がはっきりしないとなると、世界にとって損か得かの判断しかできなくなるわけで、そうするとキチンとした手続きを踏まえたうえでの多数決で決定するしかないでしょ。これを「手続き的正義」というんだ。
このような手続き的正義を果たす役目が、国連決議なんだ。国連決議の中味が、本当に正義なのかどうかは考えない。ただ、国連でキチンとした手続きを踏まえたうえで、多数決によって決定されたということだけを重視する。
(146-49ページ〕
欧米、とくにイギリスはアラブに対して無茶苦茶なことをしてきた。決定的なのは、第一次世界大戦中の、フサイン=マクマホン協定(1915年)とバルフォア宣言(1917年)。アラブを味方につけるために、前者の協定でアラブ国家の樹立を承認する。と同時に金融面で強い力を持っていたユダヤ人からの支持を得るため、後者の宣言で、同じ地にイスラエルの樹立も承認した。
このときのイギリスの二枚舌は大阪ミナミの飲み屋の姉ちゃん級だ。ヤラせる気もないのに、それらしいことをいって金をふんだくっていくっていうね。
バルフォア宣言を基 にして戦後パレスチナの人はいきなり国を追い出されたんだよ。皆さんなら納得できる!?
パレスチナの攻撃をテロ行為だと非難しているユダヤ人だって、1939年ごろ国家建設を目指してイギリスなどに対して闘争。これは「テロ行為だ」といわれたりしていた。でもその指導者のひとりであるベギン氏は、後にイスラエル首相にまでなっているんだ。
アフガニスタンだって19世紀にはイギリスとロシアに、20世紀には冷戦下のアメリカとソ連の覇権争いで搔 き回されてきた。湾岸戦争の原因となったイラクのクウェート侵攻にしたって、もともとクウェートはオスマン・トルコ帝国の一部だったんだろ。それをイギリスが自国の利益のためだけに無理矢理独立国家にしたんじゃないか。イラクを軍事国家にしたのもそもそもアメリカだよ。イラン革命に対抗するために、イラン・イラク戦争のときにはガンガン武器援助とかしてたじゃないか。
歴史を検証すれば、アラブやイスラムが米英に恨みつらみを抱くのは無理もないことがわかる。米英に比べたらさっきの闇金業者なんて天使のようなもんだ。こうした歴史的検証の話がなぜ出てこないのか、不思議でならないよ。日本は太平洋戦争の責任をいまだにアジア各国からことあるごとに追求されて、いつも恐縮している。じゃあ米英はアラブやイスラムに対して恐縮しているのか?はなからアラブやイスラム、はたまたアジアを馬鹿にしているんじゃないのか?
こうしてみると、アラブやイスラムの米英に対する敵意にも歴史的にそれなりの理由があることがわかる。もちろん、世界秩序を破壊するテロを壊滅するという現在の米英の行動にも理由がある。そして、自分たちの行動の理由を非論理的にあらわしたものが「正義」だよ。ぐだぐだと理由を述べるのが面倒だから、「自分の行動は正義にかなっているんだ!」「相手の行動は正義に反する!」といっちゃうわけ。
正義なんて言葉を出してきたところでなんの解決にもならない。お互いに自分なりの正義があるんだから。いま、日本は米英の正義に乗っかってるだけだ。
そうなると、先に述べたとおり、「正義とは何か」という議論じゃなくて、現在の世界にとって何が損か得かの議論しかできないし、それ以上の議論をすべきではないということになる。そして、世界にとって損か得かの判断は、手続きに従った多数決で行なうしかない、というわけだ。
現在、世界の損得を多数決で決定する機関は国連しかない。国連の判断が素晴らしく、正しいものだからじゃなくて、単に多数決をする機関として委 ねざるを得ないというだけ。国連を過大視しているわけじゃない。
(中略)
人の命を奪うのに正義なんて持ち出すな!正義っていう言葉は自分は神だと思い上がってる奴しか使わない。見てよ、マスコミもすぐに正義を持ち出すし、弁護士法の第1条にも「社会的正義の実現を使命とする」って書いてあるじゃない!
(152-55ページ)
僕は、学者や思想家と称する人たちのように抽象論で物事を考えません。
(254ページ)
アメリカやイギリスのやり
それとも、
「『授業を聞かない』自由」、「『学校を休む』自由」、「『チ×ポを出す』自由」があるのかうんぬんについては、
あるべきだと
いっとくけどね、僕とか『行列のできる法律相談所』の丸山和也弁護士は、ロースクールの適性試験を受けても悪い成績ってわけじゃないよ。そもそも3分で席を立って飲みに行っちゃうから、成績自体がないんだよ。
(17ページ)
「思想や良心だなんて、クソガキが考える必要はゼロ」と
こりゃすごい本を読まれましたね。
SvaraRaderaびっくりしました。何年も前にびっくりしていなけりゃならなかったのか、というとそんな無駄な本は買わないけどね。
私は図書館から借りました。
SvaraRadera自分の子供を殺せという主張は世間からもずれているでしょうね。
その他の点として。
「解雇権の濫用法理(らんようほうり)、すなわち会社は従業員をなかなか解雇できないという法理は、ガッチリと労働者の権利を守ってきた」という説明はまともだと思いました。
また、共謀共同正犯理論や共謀罪の問題点の指摘、「理想的には、有罪が確定するまでは実名報道すべきじゃない」という指摘などもありましたが、これらは私も同意できます。
「メディアの正義は、単なる事実の公表ではなくて、権力の不正を暴いてこそのもの」という認識ももってはいるようです。
しかしもっとも注意するべきなのは、「親が責任を持って、事前に世のなかから抹殺せよ」という、一見受け入れられそうにはない主張と一緒に述べられている、「社会が、警察が、つねに必死になって監視する必要が出てくる」という一文かもしれません。ここで「社会」と言われていますが、地域社会が主体になるということではありません。そもそも、「地域社会が子どもを守れるわけがないだろ」というところから、この論は始まっているからです。「社会からあらかじめ鬼畜犯を排除しておく必要がある。」そのために子を抹殺する権利が親にあたえられる。それを「社会」が警察とともに監視するというのはつまり、公の機関すなわち権力が「つねに必死になって」市民を監視することを指していると思われます。
SvaraRadera