2011-02-21

いちむらみさこさんと久保みきさん

最初に。いちむらみさこさんと久保みきさんはお互いに何の関係もありません。私が勝手に結び付けているだけです。

二月十五日にエノアールカフェにまたぶらりと立ち寄っていちむらみさこさんに会いました。

私にとって、芸術家といえば、まずいちむらみさこさんです。

ホームレスのダンボールへの放火事件に抗議して、その焼け跡地に横たわって「彗星」を表現したいちむらみさこさんは私には忘れ難い。

働くことには絶望しかないと言って、ホームレスになったいちむらさんは忘れ難い。

私はそれにどう反応したら良いのだろう。どう答えたら良いのだろう。

エノアールカフェは人を排除する空間ではない。人が受け入れられる空間だ。

それがどれだけ有難いか、と思う。

私自身は首尾一貫した生活は全くしていないが、多くの人がお金が無くなるのをおそれる中で、お金がなくても生きていけると示してくれる場があることが現代にとってどれだけ価値のあることか、と思う。

今回は私は一緒に絵を描く時間はなかったけれど、いちむらさんの絵が見れて感激だった。本当に素敵な絵でした。

ちなみに色紙にも絵を描いてくれた。



久保みきさんからは働くことへの希望を見る気がする。

さいたま市議候補の方だが、私にとっては芸術家です。ブログでのその詩のような文章にはどれだけ励まされたか。

新聞連載から冊子にも最近なった「はだかの子育て」で、服を着ることを拒否する息子さんの求めていたのは、一緒に裸になってくれる人だった、と言う久保さんはやさしい人だと思う。

やさしさと相容れぬのが労働のように私には思えるが、ところが久保さんは労働を語るのです。

息子さんがリサイクルショップで働いていること、あるいは自身が水泳のインストラクターの仕事をしていたことが「はだかの子育て」で触れられている。あるいは仕事をしたくても仕事がない若者から相談を受けていることがブログや演説で紹介されている。

そこには労働が絶望だという観点は感じられない。

希望の持てる働き方というのはあるのかもしれない。一歩でも二歩でも良くする方法というのはあるのかもしれない。

身近なところから社会運動を始める、それが久保さんの原点のように思うし、演劇をしていたという経歴が独特の観点を作っているようにも思う。夢としての職業、やりたいことをやる仕事という見方が可能なのですね。

本当に、やりたいことがやれる世の中ならどんなに良いことだろう。
世の中を一歩でも二歩でも良くすることができたら、ずいぶん変わるのではないか、とも思う。久保さんの演説を聞くまでもなく、おかしいことが、身近なことにまであり過ぎるのだ。

久保さんの生演説を聴く機会を今回もてたが、非常に格好良かった。 


色紙も書いて頂いて、感激でした。(…ちなみに、久保さん、私も気付かなかったけれど、今月は二月ですね。)

さて、久保みきさんといちむらみさこさんにはどんな共通点があるかといえば、やさしさだと思います。現代の希望というような。

2011-02-09

接続詞

ロジバンの接続詞は”一見”複雑に見えるので、私なりのやり方で解説してみたい。

文と文をつなぐ接続詞は、例えば

「私はお店に行く」という文と
「あなたはお店に行く」という文が

どういう関係にあるのかを表す。それは否定文と組み合わせて表せる。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」

この四つの組み合わせのどれがありうるか、ということだ。

このうちのどれか一つだけということなら、簡単だ。(日本語では接続詞の「そして」を間にはさんで表現できる。)

「私はお店に行く」-(そして)「あなたはお店に行く」

「私はお店に行く」-(そして)「あなたはお店に行かない」

「私はお店に行かない」-(そして)「あなたはお店に行く」

「私はお店に行かない」-(そして)「あなたはお店に行かない」

それぞれ四つの言い方ができる。

******************

二つの組み合わせが当てはまる場合はどうか。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×

これはつまり、「あなたが行こうが行くまいが、私はお店に行く」ということだ。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる


これは、「あなたが行こうが行くまいが、私はお店に行かない」ということ。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×

これは、「私が行こうが行くまいが、あなたはお店に行く」ということ。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる

これは、「私が行こうが行くまいが、あなたはお店に行かない」ということ。

以上で四つの言い方。

*****************

さらに…

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる

これはつまり、「私がお店に行くならあなたも行く。私が行かないならあなたも行かない。」もしくは、「あなたがお店に行くなら私も行く。あなたが行かないなら私も行かない。」ということ。


「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×

これはつまり、「私がお店に行くなら、あなたは行かない。私が行かないなら、あなたは行く。」もしくは、「あなたがお店に行くなら、私は行かない。あなたが行かないなら、私は行く。」ということ。

以上で二つの言い方。

****************

三つの組み合わせがありえる場合はどうか。これが一番ややこしい。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×

これはつまり、「私がお店に行くか、あるいはあなたが行くか、あるいは両方が行くか」ということ。
(言い換えれば、「私とあなたの両方がお店に行かないことはありえない。」)

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる

これはつまり、「私がお店に行かなくても、あなたは行く。あるいは両方が行く。」ということ。
(言い換えれば、「私がお店に行って、あなたが行かないことはありえない。」)

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる

これはつまり、「あなたがお店に行かなくても、私は行く。あるいは両方が行く。」ということ。
(言い換えれば、「私がお店に行かなくて、あなたが行くことはありえない。」)

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる

これはつまり、「私がお店に行かないか、あなたが行かないか、あるいは両方が行かないか。」ということ。
(言い換えれば、「私とあなたの両方が行くことはありえない」)。

以上で四つの言い方。

…やっぱり複雑に見えてしまうだろうか?

とはいえ、これで十四通りの言い方になります。

******************************

上に大きく分けた群れをロジバンではそれぞれ< .i je >< .i ju >< .i jo >< .i ja >を使って言い表せます。否定は< na >を付けて表します。

一番上の群れなら、< .i je >を使い、

*
「私はお店に行く」-( .i je )-「あなたはお店に行く」

*
「私はお店に行く」-( .i je )-「あなたはお店に行かない( na )」

*
「私はお店に行かない( na )」-( .i je )-「あなたはお店に行く」

*
「私はお店に行かない( na )」-( .i je )-「あなたはお店に行かない( na )」

*****************

二番目の群れを見てみます。

*
「私はお店に行く」 - 「あなたが行こうが行くまいが」

これには< .i ju >を使い、

「私はお店に行く」-( .i ju )-「あなたはお店に行く」

という形にします。

組み合わせの形はこうでした。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×

分かりやすいように、否定文には否定と書くと、こうです。

「…」-「…」→ありえる
「…」-「…否定」→ありえる
「…否定」-「…」
「…否定」-「…否定」


*
上の表に、前の文を「私はお店に行かない」と否定文にして、当てはめてみます。

「…否定」-「…」→ありえる
「…否定」-「…否定」→ありえる
「…否定否定」-「…」
「…否定否定」-「…否定」

否定の否定は肯定になるので、整理すると、

「…否定」-「…」→ありえる
「…否定」-「…否定」→ありえる
「…」-「…」
「…」-「…否定」

つまり、

「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→×

となります。

これは、「私はお店に行かない」 - 「あなたが行こうが行くまいが」ということです。

これが前の文を否定にした言い方

「私はお店に行かない( na )」-( .i ju )-「あなたはお店に行く」

なのです。

*
ちなみに、後の文を「あなたはお店に行かない」と否定文にして、表に当てはめると、こうなります。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→×

つまり、「私はお店に行く」‐「あなたが行こうが行くまいが」という意味で、

「私はお店に行く」-( .i ju )-「あなたはお店に行く」

と同じです。


*
また、両方を否定文にして表に当てはめると、こうなります。

「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×

つまり、「私はお店に行かない」‐「あなたが行こうが行くまいが」という意味で、

前の文を否定文にした言い方

「私はお店に行かない( na )」-( .i ju )-「あなたはお店に行く」

と同じです。


*
「私が行こうが行くまいが…」と言いたければ、前と後の文をひっくり返すしかありません。

「私はお店に行く」-(ひっくり返す .i ju )-「あなたはお店に行く」

ひっくりかえした「あなたはお店に行く」‐「私はお店に行く」をこの順で表に当てはめると、こうなります。

「あなたはお店に行く」-「私はお店に行く」→ありえる
「あなたはお店に行く」-「私はお店に行かない」→ありえる
「あなたはお店に行かない」-「私はお店に行く」→×
「あなたはお店に行かない」-「私はお店に行かない」→×

つまり、「あなたはお店に行く」‐「私が行こうが行くまいが」となります。


*
また、後の文を否定文にしてひっくり返す場合を見てみます。

「私はお店に行く」-(ひっくり返す .i ju )-「あなたはお店に行かない( na )」

ひっくりかえした「あなたはお店に行かない」‐「私はお店に行く」をこの順で表に当てはめると、こうなります。

「あなたはお店に行かない」-「私はお店に行く」→ありえる
「あなたはお店に行かない」-「私はお店に行かない」→ありえる
「あなたはお店に行く」-「私はお店に行く」→×
「あなたはお店に行く」-「私はお店に行かない」→×

つまり、「あなたはお店に行かない」‐「私が行こうが行くまいが」となります。

****************

次の群れを見ます。

*
「あなたがお店に行くなら私も行く。あなたが行かないなら私も行かない。」

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる

これはロジバンではこう表します。

「私はお店に行く」-( .i jo )「あなたはお店に行く」

*
前の文を否定文にしてみます。

「私はお店に行かない( na )」-( .i jo )「あなたはお店に行く」

表に当てはめると、こうなります。

「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる

「あなたがお店に行くなら、私は行かない。あなたが行かないなら、私は行く。」となります。

*
ちなみに、後の文を否定文にすると、

「私はお店に行く」-( .i jo )「あなたはお店に行かない( na )」

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる

つまり、「私がお店に行くなら、あなたは行かない。私が行かないなら、あなたは行く。」

となり、同じ意味です。

****************

最後に、ややこしい三つの組み合わせを含む言い方です。

*
「私がお店に行くか、あるいはあなたが行くか、あるいは両方が行くか」

これはロジバンではこう表します。

「私はお店に行く」-( .i ja )「あなたはお店に行く」

表はこうでした。

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→×


*
前の文を否定文にしてみます。

「私はお店に行かない( na )」-( .i ja )「あなたはお店に行く」

表に当てはめると、

「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→×

これは、「私がお店に行かなくても、あなたは行く。あるいは両方が行く。」ということです。
(言い換えれば、「私がお店に行って、あなたが行かないことはありえない。」)

*
後の文を否定文にしてみます。

「私はお店に行く」-( .i ja )「あなたはお店に行かない( na )」

表に当てはめると、

「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→×

これはつまり、「あなたがお店に行かなくても、私は行く。あるいは両方が行く。」ということ。
(言い換えれば、「私がお店に行かなくて、あなたが行くことはありえない。」)


*
両方を否定文にしてみます。

「私はお店に行かない( na )」-( .i ja )「あなたはお店に行かない( na )」

表に当てはめると、こうです。

「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行かない」-「あなたはお店に行く」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行かない」→ありえる
「私はお店に行く」-「あなたはお店に行く」→×

これはつまり、「私がお店に行かないか、あなたが行かないか、あるいは両方が行かないか。」ということ。
(言い換えれば、「私とあなたの両方が行くことはありえない」)。

*******************************

今まで言った言い方をまとめると、こうです。

... .i     je      ...
... .i na je      ...
... .i     je nai ....
... .i na je nai ...

... .i     ju     ...
... .i na ju      ...
... .i se ju      ...
... .i se ju nai ...


... .i      jo     ...
... .i na jo     ... (... .i     jo nai ...)

... .i     ja      ...
... .i na ja      ...
... .i     ja nai     ...
... .i na ja nai ...

十四通りです。短く、分かりやすくするつもりが…、めっちゃくっちゃ長くなりました。

*************

全く話は関係ありませんが、今日付けの『しんぶん赤旗』の投書欄にて久保みきさん関連で私の名が出ています。

Mat

Jag tänker på mat varje dag.

Manĝaĵo

Ĉiutage mi pensas pri manĝaĵo.

cidja

.ua mi di'i pensi lo cidja .au ro'o

食べ物

毎日、食べ物のことを考えている。

2011-02-05

Honda Katuiti kaj la ĵurnalo Akahata

En la ĵurnalo Akahata (ĵurnalo eldonita de la Japana Komunista Partio), 31-an de januaro, aperas ĵurnalisto Honda Katuiti ĉe la unua paĝo. Hura!

Li ne aperis en Akahata dum tri jaroj, tion mi certas, krom la leteroj de li kiel leganto.

Antaŭ tri jaroj mi komencis aboni Akahata, kaj ĝojegis, ke mi do vidas la artikolon de Honda Katuiti, kaj ekscias, ke ankaŭ li abonas la saman ĵurnalon.

Mi ankaŭ alte taksis Akahata, kiu aperigis sur la unua paĝo la artikolon, kiu enhavas parton "ĝi estas ĵurnalo eldonita de politika partio, kaj havas siajn limitojn pro tio."

Post kelkaj tagoj en la parto de leteroj de legantoj aperis letero de Honda Katuiti, kiu diris, ke li ankaŭ volis diri pri aliaj aferoj, sed la literoj permesitaj ne sufiĉis. Ankaŭ aperis letero de alia homo pri Honda Katuiti. En la letero skribanto skribis, ke Honda Katuiti plaĉis al ŝia filo. Nur tio kvazaŭ imagigis al mi la karakteron de la filo, kaj mi larmis.

Loĵbano plaĉas al mi

En la parto por leteroj de legantoj de la semajna gazeto Syukan Kinyobi, 28-an januaro, mi prezentas la planlingvon lojban.

La leteron mi ankaŭ rilatigas al Esperanto kaj la ĵurnalisto Honda Katuiti kiu skribas artikolojn pri Esperanto ĉe Syukan Kinyobi. Mi efektive volis prezenti Loĵbanon al li.

Mi nun tiel vivas kaj allogite lernas planlingvojn, kaj la motivo estis, ke Honda Katuiti unufoje malemfaze diris "mi opinias, ke la hodiaŭa plej granda diskriminacio estas tiu de lingvo" (tiel mi memoras) ĉe la speciala diskuta artikolo antaŭ tri jaroj. Vere la motivo estis nur tiu ĉi vortoj.

Sed eĉ aparte de la signifo de lernado de planlingvoj, mi opinias, ke Loĵbano estas interesa.

Kvazaŭ por ke mi ekperdus ĉion en la socio, Loĵbano tiel terure ĉarmas.

Ju plu mi ekscias pri ĝi, des plu mi interesiĝas de ĝi.

Eĉ kiam mi ne kontentiĝas de ĝi, ĝi havas teniĝon kvazaŭ dirante "kio do plibonus? Ni pensu", tion mi sentas. Ĝi sentigas, ke ĝi estas lingvo farita pere de rea kaj rea diskutado.

la .xondan.katu,itin. je la akaxatas. noi djekarni

.i vi lo pamoi papri be la .akaxatas. noi djekarni be de'i li pa pi'e ci pa kei to karni fi lo kaurpo'esi'opre trusragri pe la .nixon. noi gugde toi la .xondan.katu,itin. goi ko'a cu cusku .uicai

.i ko'a na pu cusku vi la .akaxatas. ze'a lo nanca be li ci pe'i fi'o nafmupli lo tcidu xatra

.i pu lo nanca be li ci mi co'a te vecnu je tcidu la .akaxatas. .i'unai dai gije mutce lo ka gleki ca lo nu facki lo du'u ko'a .ue dai ji'a te vecnu je tcidu le mintu djekarni

.i ji'a la .akaxatas. noi gasnu lo mu'e vi lo pamoi papri cu vasru lo pagbu ji'a po'u lu karni fi lo trusragri .ije tolclaxu lo jimte be ki'u la'e di'u li'u kei se sinma mi

.i ba so'o djedi lo tcidu xatra pagbu cu vasru lo xatra be fi ko'a noi cusku lo du'u ko'a pu djica lo nu cusku tu'a lo drata tcini ji'a kei fau lo nu na banzu fa lo te kancu be lo'i lerfu be'o noi jai se curmi .i ji'a vasru lo xatra be fi lo drata prenu fo ko'a .i le xatra zo'u cusku lo du'u lo bersa be lo te xatra pu nelci ko'a .i lo nu tcidu di'u kei po'o cu rinka lo mu'e da'i mi co'a jimpe fi le bersa kei je lo mu'e se klaku

la .lojban .iu

.i mi jungau fo la .lojban. vi lo tcidu xatra pagbu noi se karni la .kin,iobis. noi jefkarni be de'i li pa pi'e re bi

.i lo tcidu xatra zo'u mi gasnu lo nu srana ji'a la .esperantos. noi rutni bangu kei je la .xondan.katu,itin. noi karnysku fo la .kin,iobis. .i mu'ibo da'inai mi djica lo nu jungau la .xondan.katu,itin. fo la .lojban.

.i mi ca jmive gije cilre fi lo rutni bangu ku .a'u .i mu'i bo la .xondan.katu,itin. pu lo nanca be li re ga'o bi'o ga'o ci vi lo casnu ke steci selkarni cu cusku to'u lu pe'i lo poi traji be lo ka barda ku'o tolpaivu'e ca lo cabycedra cu srana lo bangu li'u sa'e cu'i .i .u'e le vu se cusku po'o cu mukti

.i ku'i pe'i la .lojban. cu cinri .i ju pensi lo te vajni be lo nu cilre lo rutni bangu

.i zo'o da'i mi cirko ro da vi lo jikce'u mu'i la .lojban. .i .ie ri terpa trina

.i mi climau fo la .lojban. gije macmau

.i da'i la .lojban. ca lo mu'e ri na mansa mi cu tarti gije cusku lu ma xagmau .i .e'u mi'o pensi .i'i li'u .i ganse lo ka so'i roi casnu zbasu bangu