2011-11-25

みそしる Misosupo i lo mison stasu

みそしるのおいしい季節きせつになりましたね。みそしるって大好だいすきだ。こころやすらぐ。

Nun venis sezono, kiam misosupo bongustas. Misosupo plaĉegas al mi. Ĝi trankviligas min.

ni'o pu cfari fa lo citsi noi ca ke'a lo mison stasu cu kukte to lo mison du lo pesxu be lo sobde noi fusra toi i mi mutce nelci lo mison stasu i ri gasnu lo nu mi cinmo lo ka surla

言葉ことばうったえるとか表現ひょうげんするとかより、ひとからまなぶことのほうがわたしにとって大事だいじなようにおもう。
もっとまなびたい。
もっともっとおどろかせてほしい


Lerni de homoj estas pli grave por mi ekzemple ol insisti per vortoj aŭ esprimi per pentraĵoj, miaopinie.
Mi volas plu lerni.
Mi volas plu kaj plu surpriziĝi.


ni'o lo mu'a nu darlu ve cu'u lo valsi kei ja nu jarco ta'i lo nu pirfi'i cu se zmadu lo nu cilre fo lo prenu kei lo ka vajni mi kei vau pe'i
i za'u re'u ku mi cilre vau au
i za'u re'u ku sai mi se spaji gau vau au

2011-11-20

本日ほんじつ池田いけだ駅前えきまえ展示てんじ予定よてい看板かんばん Hodiaŭ Ikeda-stacidome ekspoziciota afiŝo i lo cabdei ke ikedan renytcanydi'u lamji nunja'o ke'e platu tanbo

なおした。

Mi reskribis kaj ŝanĝis la tekston de la afiŝo, ke armilo estas ilo por murdi homojn, al jeno, ke ne al armilo. (mi volas ĉiutage stari apud la Ikeda stacidomo kaj montri mian postulon.)

i mi ciska galfi lo pu se ciska be fi lo tanbo ku ku no'u lo du'u lo xarci cu tutci lo nu catra lo prenu kei kei di'e no'u lo du'u au nai xarci to mi djica lo nu ca ro djedi sanli re'o lo ikedan renytcana dinju gije jarco tu'a lo  mi se darlu toi


裏面うらめん

Jen la alia flanko, en kiu skribiĝis, ke ne al tio, ke la angla estas lingvo internacia

i la'e di'e drata mlana noi te ciska lo du'u au nai lo bangenugu cu gugykruca bangu


いまふとおもったが、毎日まいにち看板かんばん字面じづらえても面白おもしろいかもしれない。

Mi ĵus ekhavis ideon, ke ĉiutage ŝanĝi la skribaĵon de la afiŝo amuzus.

i mi pu zi te sidbo fi du'u la'a zdile fa lo nu ca ro djedi cu galfi lo selci'a be fi lo tanbo

2011-11-18

きるのに必要ひつよう音楽おんがく

ブージー・クラクションの音楽おんがくは、かなしくてかなしくてたまらないときに音楽おんがくだとおもうし、それは新曲しんきょくにもえる。2曲にきょくとも。


先日せんじつ365日さんびゃくろくじゅうごにちおなじところでうったつづける云々うんぬんきましたが、わたし毎日まいにち駅前えきまえでビラくばりはしていません。


しかし毎日まいにちうったえるという発想はっそう魅力みりょくてきではあるので、駅前えきまえ毎日まいにちなにかやろうかというではあります。




看板かんばん一緒いっしょっているだけでも、「ほんまや」とはなしかけてくれるひとはいる。

2011-11-16

きることとともにあるきょく Melodio, kiu estas kune en la vivo i lo selsa'a co kansa be fi lo nu jmive

ビラくばりに駅前えきまえつときにわたしあたまなかっているきょく

Jen melodio, kiu ludiĝas, kiam mi staras ekster stacidomo kaj donas afiŝojn al piedirantoj.

i la'e di'e ca'o se sanga ne'i lo mi stedu ca lo nu mi sanli re'o lo trene tcana dinju gije dunda lo notci pelji lo cadzu



わたしがブージーのなま演奏えんそうっていたころは、なま演奏えんそうかいかならずこのきょくはじまっていたものだ。
鈴木すずきさんのこえはほとんどこえない。爆音ばくおんかえしのなかで、笈川おいかわさんのギターにみみをすます。最高さいこうだね。

昨日さくじつ発売はつばい新曲しんきょくかった。
「ボクを信じて」のなかの「ちいさいキミはどう思う?」という歌詞かしが、さすが鈴木すずきさんだとおもった。
「ハレルヤ」の歌詞かしは、アングロサクソン民族みんぞく言語げんご日本語にほんごカタカナ表記ひょうきになっていてかった。
http://n-a-u.jp/push-nau/010-bugycraxone.html

Kiam mi kutime vizitis koncertojn de BUGY CRAXONE (kiu elparoliĝas kiel "buĵi krakŝon"), la koncertoj ĉiam komencis kun tiu ĉi melodio.
La voĉo de SUZUKI apenaŭ aŭdeblas. En laŭtegaj ripetoj mi atente aŭskultas la gitaron de OIKWA . Ho, bonege!

La novaj muzikoj, kiuj komencis vendiĝi hieraŭ, ankaŭ bonas.
Parto de la teksto de "Kredu min", "Kion opinias vi, kiu malgrandas", bonas kaj tipas por SUZUKI, miaopinie.
En la teksto de "Hallelujah" vortoj en la anglosaksa lingvo estas skribitaj per japana skribmaniero katakana, kaj tio bonas.
(http://n-a-u.jp/push-nau/010-bugycraxone.html)

i ca lo nu mi pu ta'e vitke co zvati lo nu tigni fa la bujin krakcon no'u la'o zoi BUGY CRAXONE zoi kei lo nu tigni ro roi ca tu'a lo bi'u nai selsa'a cu cfari
i pi so'a voksa be la suzukin no'u la'o zoi SUZUKI zoi na ka'e se tirna i ca lo nu mutce cladu rapli kei mi jundi tirna tu'a lo jgita be pi'o la oikauan no'u la'o zoi OIKAWA zoi i i'ecai o'e
ni'o lo cnino zgike noi se vecnu co'a lo purlamdei cu xamgu vau ji'a
i la'e lu ko krici fi mi li'u no'u la'o zoi 「ボクを信じて」 zoi se pagbu lo valsi no'u lu do noi mutce citno ma jinvi li'u i je ri jai steci la suzukin ku i'e vau pe'i
i lo valsi pe la'e lu cevni zanru selsa'a li'u no'u la'o zoi 「ハレルヤ」 zoi zo'u lo valsi co bangu be lo anglosakson natmi cu se ciska sepi'o la katakanan noi banjupunu ke nunci'a tadji i je  la'e di'u xamgu
i to lo zgike ka'e se terve'u bu'u la'o zoi http://n-a-u.jp/push-nau/010-bugycraxone.html zoi toi

2011-11-07

6日むいか池田いけだ9条きゅうじょうかいの「平和へいわのパレード」デモ集会しゅうかい雨天うてん決行けっこう。おあつまりいただいた方々かたがたには感謝かんしゃです。ありがとうございました。

あいさつの原稿↓

2011-11-03

下書したがきをしながら見直みなおひまがなかったので、前日ぜんじつ前々日ぜんぜんじつ記事きじ一気いっき投稿とうこうしました
以下いか11月じゅういち3日みっかづけ本日ほんじつ)。

今日きょう野田のだ淳子じゅんこさんの演奏えんそうかいったりしながらやはり八時はちじごろまで池田駅いけだえきまえでビラくばり。

最高さいこう出会であいがあった。いろんなひととね。

ビラくば

11月じゅういちがつ2日ふつか

ビラくばりがたのしくてたのしくてしかたがない。

たかがビラくばりとはいえ、今日きょうあるひとからわれたように、こういうことをやっているとひとってくるんですね。

今日きょうひるごろからよる八時はちじごろまでほとんどぶっとおしで池田いけだえきまえって、一日いちにちのこととはおもえないほどたくさんのっているひとあたらしいひと出会であった。

デモなんて成功せいこうしなくたっていい、それよりも365日さんびゃくろくじゅうごにち毎日まいにちおなじところでうったつづけるとか、つづけることのほうが大切たいせつだ、とあるひとからわれた。わたしもそうおもう。

ビラくばりでなにえる効果こうかがでるなんてわたし期待きたいしていない。そうではなく、ビラをくばひとがそこに存在そんざいすることに意義いぎがあるとわたしおもう。いまこの世界せかいで、この瞬間しゅんかんに、「戦争せんそうはいや」と意思いし表示ひょうじすることに意義いぎがあるとおもう。

今日きょう橋下はしもととおるさんが池田駅いけだえきまえるというので、わたしはそのままビラや看板かんばん意思いし表示ひょうじしたかったのだが、ひとおおいところでおおきい看板かんばんあぶないとおまわりさんからわれ、ちかくにいさせてくれなかった。それから路上ろじょうかお見知みしりになったひと出会であった。わたし警察けいさつからをつけられているとそのひとったのに、そのひとにせずにそばに一緒いっしょにいてくれた。うれしかった。

テレビきょくひとたちがちかくにていたので、「インタビューはけますよ。」とわたしこえをかけると、インタビューしてくれた。

実際じっさい演説えんぜついてどうでしたか。」
具体ぐたいてきでなく、中身なかみのないおはなしでした。」(←ゲームソフトはいいがゲームわるいとかなんとか…。しかしこういうつまらないことにたいする批判ひはんはするべきではありませんでした。批判ひはんをするなら、まっさきに教育きょういく問題もんだいをとりあげてわたし批判ひはんするべきでした。)
対立たいりつ候補こうほ倉田くらたかおるさんの池田いけだ街頭がいとう演説えんぜつをすることについてはどうおもわれますか。」
池田いけだ市長しちょう倉田くらたかおるさんと橋下はしもととおるさんが対立たいりつじくになっているとはおもいません。」
「いや、ですから、倉田くらたかおるさんの池田いけだ街頭がいとう演説えんぜつおこなうことについてはどうおもわれますか。」
べつに、どうもおもいませんけど。」

なんですか、この質問しつもんは。

ちなみに、そのまえには看板かんばんのことでごちゃごちゃっているときにおまわりさんらしきひとからもインタビューをけていた。
名前なまえかせてくれる?」
「ビラにいてあります。大川おおかわ純平じゅんぺいです。」
池田いけだんでいるの?」
うえ池田いけだんでいます。」
かみ池田いけだなん丁目ちょうめ?」
「そこまで必要ひつようがありますか。」
べつおしえてもよかったのだが、わたしは『週刊しゅうかん金曜日きんようび』の読者どくしゃで、こんな名前なまえ住所じゅうしょなど必要ひつようのないことはっているから、すこ意地いじわるこたえてしまった。(職務しょくむ質問しつもんではありませんから。)

わたしはおまわりさんってだいきなんだ。またったときにはみんなに名刺めいしをおわたししよう。

池田いけだからえらばれてしまった府議会ふぎかい議員ぎいん大阪おおさか維新いしんかい奥野おくの康俊やすとしさんもていて、わたしはメールでわせたのに(http://junpe-n.blogspot.com/2011/06/61-6-httpjunpe-n.html#more)お返事へんじをまだもらっていないとこえをかけながら奥野おくの康俊やすとしさんには名刺めいしをおわたしした。めんかいって対話たいわをすることを重視じゅうししているので、また今度こんどにでも、とおっしゃった。

わかぎわには、
頑張がんばって。」
「おつかさまです。」
言葉ことばわした。

いや!

*11月1日。

いちむらみさこさんにあこがれているわたし:「よかったら、公園こうえんかいつくらない?」
サルみたいな一人ひとり:「いや。」

サルみたいな一人ひとり: 「ねえ、三人さんにんでいやっておう。」

サルみたいな三人さんにん:「せえの…いや!!!」

わたし: ガクッ
いやとうのは大切たいせつです。
ということで、看板かんばんつくってみた。


今日きょう16じゅうろく時半じはんから橋下はしもととおるさんが池田いけだえきるらしいので、この看板かんばんってはなしきにってやろうかとおもっています。

そういえば、池田いけだ出会であったとある尊敬そんけいすべきひとは、「NOノーっていい」と子供こどもつたえることの大切たいせつさをっていた。そのひととの最初さいしょ出会であいもビラくばりだった。(http://okawghumpe.exblog.jp/10974263/