2011-08-27

lo se facki co tadni be la pipis lonstrump no'u la'o zoi Pippi Långstrump zoi

i la pipis na ctuca
i ri na jarco tu'a lo cnano

Studo pri Pippi Långstrump aŭ Pipi Ŝtrumpolonga

PIPI NE ESTAS INSTRUISTO.

Ŝi ne kreas normon.

ピッピ・ロンストルンプについての一考察いちこうさつ

ピッピは教師きょうしじゃない。


お手本てほんしめしているんじゃない。

2011-08-23

Peto pri malpliigo de kosto de la armado (Mesaĝo al la japana popolo)

Eĉ se mi estus laboranto de UN, mi agus laŭ ordonoj de iu.
Eĉ se mi estus la estro de Usono, mi devus sekvi ordorojn de iu.

La mondo ŝanĝas, nur se civitanoj ŝanĝas.
Ĉiuj devas fari siajn aferojn.

Mi apud la Ikeda stacidomo disdonas al piedirantoj paperojn, kiuj teksas:
ĈESU MURDI HOMOJN PER ARMILOJ!
Nun 120 milionoj da homoj en Korno de Afriko laŭe suferas malsategon. Pli ol 29 mil infanoj jam mortis kaŭze de la malsatego. Oni diras, ke la malsatego okazas ĉare de altiĝo de manĝaĵa prezo kaj ĉare de arrmilaj konfliktoj. Somalion bombis Usono. Kialo de konfliktoj estis la invado de eŭropanoj, sed konfliktoj daŭras, ĉar troviĝas homoj en Usono kaj eŭropaj landoj ktp, kiuj profitas el ekzemple armila eksportado.

Usono, kiu batalas nur en aliaj landoj per ekzemple bombado, kreas mondon, kie oni ne zorgas pri vivoj de aliaj homoj. Bonvole ĉesu helpi usonan invadon! Bonvole ne elektu kandidatojn de Liberala Demokrata Partio kaj Nova Komeito Partio kaj Demokrata Partio de Japanio, kiuj uzas centbilionoj da enoj de niaj impostoj por la usona armeo! Oni ne povas krei demokratan mondon per armiloj. En elekto elektu kandidatojn aŭ partiojn, kiuj insistas pri malpliigo de kosto de la armado!

OKAŬ Ĵunpe, loĝanto en la urbo Ikeda
Retpoŝtadreso: nergdnila@hotmail.com

Cetere mi diskutis pri la malsatego en Korno de Afriko en la forumo de lernu!    (http://eo.lernu.net/komunikado/forumo/temo.php?t=9699)

lo se cpedu no'u lo xarci selyle'i nu jdika ku to lo se notci be fo lo se gugdejupu toi

ni'o va'o lo nu ji'a da'i mi se briju lo gugde bende to la'o zoi UN zoi toi kei mi zukte fi'o minde da vau au nai
i va'o lo nu ji'a da'i mi jatna lo gugde'usu kei mi se minde da
i lo kluce'u cu cenba i jo lo se cecmu cu cenba
i ro prenu cu zukte lo ri cuntu
i mi bu'u lo ikedan ke trene tcana cu dunda fi lo cadzu fe lo pelji poi mi cusku fo ke'a fe la'e di'e
i lu
au nai catra lo prenu se pi'o lo xarci
i ca ku se cusku fa lo du'u paremeg prenu co stuna friko cu lifri lo banli nu xagji
i resoki'o verba ba'o morsi ca lo masti be li ci bu'u lo snanu pagbu be lo gugdesu'o ri'a lo banli nu xagji
i ti'e la'e di'u fasnu ki'u lo cidja jdima kargu nu binxo kei je lo nu jamna
i lo gugdesu'o cu jbama se gunta lo gugde'usu
i lo nu jamna bu'u lo friko cu cfari ki'u lo ji'a nu lo ropno cu gunta lo friko
i ji'a lo bi'u nai nu jamna cu ranji ki'u lo nu lo se gugde'usu je lo ropno se gugde cu se prali fi lo nu mu'a vecnu lo xarci

i lo gugde'usu ku noi jamna bu'u lo po'o ri bartu gije jbama gunta cu zbasu lo munje be fi lo nu na'e kurji lo drata prenu jmive
i e'o ko sisti lo nu sidju fi lo gugde'usu nu gunta jamna
i e'o ko na cuxna la jiminton ja la kometon ja la mincuton vu'o noi zukte fi lo nu pilno fi tu'a lo gugde'usu jenmi fe lo rupnu be lo ctoki'omegdo be'o noi cteki
i na cumki fa lo nu zbasu lo roltrusi'o munje se pi'o lo xarci
i e'o ko ca lo flakamni cmima nu cuxna cu cuxna lo darlu be lo nu gasnu lo nu lo selyle'i be fo lo xarci cu jdika

mi'e okaun junpen noi xabju la ikedan noi tcadu ku'o gije se samjudri la'o zoi nergdnila@hotmail.com zoi
li'u

2011-08-21

軍事費削減のお願い

国連の職員に私がなったとしても、誰の命令で私は動くのだろう。
アメリカの大統領に私がなったとしても、誰の命令を私は聞かなくてはならないのだろう。

市民が動かなければ何も動かない。
それぞれがそれぞれのことをするしかない。

ということで、昨日から池田駅前でビラ配りしています。ヒマを見つけてはやっていきます。


2011-08-19

La ĉielo

Mi rigarsas la ĉielon, kiam mi sentas, kvazaŭ mi fariĝos freneza.
Kiam mi rigardas la ĉielon, mi pensas, ke la vorto "sora", kiu signifas ĉielon japane, ne sufiĉas por esprimi la ĉielon, kiun mi rigardas.
Sed eble ĉi tio estis la originala signifo de la vorto "sora".
Mi vivis dudek naŭ jarojn, kaj ne ofte rigardis la la ĉielon.
"Sora" nur estis vorto, kiun iu diris.

La ĉielo

lo tsani

.i mi zgana lo tsani ca lo nu cinmo lo ka binxo lo jai fenki
.i mi ca lo nu zgana lo tsani ta'e pensi lo du'u zoi zoi sora zoi no'u lo valsi be lo tsani na banzu lo nu se smuni lo tsani poi mi ca'o viska ke'a zi'e poi mi ca'o cinmo fi ke'a
.i ku'i la'a zoi zoi sora zoi se smuni lo bi'u nai tsani ca lo cfari
.i mi jmive ze'a lo nanca be li reso .i je ku'i na'e cafne fa lo nu mi zgana lo tsani
.i zoi zoi sora zoi cu po'o se cusku da

lo tsani

2011-08-16

正気を失いそうになって、空を見る。
空だけはまともだと信じたい。

空を見るたびに、「そら」という言葉が色あせて思える。
でももしかしたら、「そら」という言葉の本当の意味はこういうものだったのかもしれない。

三十年近く生きてきて、空を何回も眺めていない。
「そら」というのは誰かが語った言葉でしかなかった。

そういえば先日、よつ葉デイジーさんという画家の絵を生で見る機会があったが、空の表現が素晴らしかった。

よく見ると西洋的表現でありながら、一見してそうには思えず、また、よく見るとルオー好きにはたまらない表現でありながら、一見してまったくルオーには思えないというのはこの画家の特徴かと思うが、私の見た二枚の絵のそれぞれが、空の表現のために物語を感じさせるものとなっていて、画材というのはこういうものを表すためにあるのだと思ったものでした。

以下は上記の内容とは全く関係なく昔の私の絵。

2006 JUNPEI

同じく全く関係なく、たまには華やかな写真。東京の染織家による盛り付け。

そういえば、13日に国立劇場で箏曲宮城会関東支部の演奏を聴いたが、空気・間との合奏である独奏と、歌も含めて層を成して迫力を作る集団演奏との琴の魅力を前面に引き出した、良いものでした。

2011-08-09

池田九条の会宣伝

今日、池田九条の会宣伝の「私も言いたい」企画に私も出て、池田駅でマイクを握らせていただきました。
上池田に住む大川純平と申します。池田に住む一市民として発言させていただきます。

今、東アフリカでは飢餓が深刻になっています。ソマリアにおいては数万人がすでに亡くなり、数十万人が飢餓に直面するだろうと言われています。南ソマリアでは五歳以下未満の子供二万九千人以上がこの九十日間で亡くなったと言われています。ソマリアにおいては紛争が続いているという事情があります。紛争が続いているのは、ソマリアの人たちだけの問題ではありません。紛争を支援している人たちというのがいます。ソマリアの紛争に介入し、ソマリアを爆撃してきたのがアメリカです。また、植民地支配していたのがイタリアやイギリスでした。

ソマリアに限らず、武力紛争はなぜ続くのでしょうか。利益のために紛争に介入する人たちがいるからです。もうけのために武器を売る人たちがいるからです。

中でも一番ひどいのがアメリカという国ではないでしょうか。もっぱら自分の国の外で爆撃などをし、人を大量に殺しているアメリカは侵略する国です。世界一の軍事大国で、軍需産業で経済をまわしているアメリカこそ悪の根源だと言って良いのではないでしょうか。

アメリカの侵略的な性格というのは、アメリカの先住民たちを迫害し、追いやってきたことから始まり、ベトナム戦争、イラク戦争と首尾一貫してずっと続いています。今でも世界中に軍事基地を置いています。

しかし世界的にもっとも大きい侵略というのはヨーロッパ人による侵略だと思います。

ソマリアに限らず、アフリカでは多くの紛争が起こっています。民族紛争とも言われますが、ヨーロッパ人の侵略する前はどうだったのでしょうか。ヨーロッパ人の都合の良いように書かれた歴史の陰で、どれだけ多くの人がヨーロッパ人のせいで殺されてきたのか、想像しても良いのではないでしょうか。複数の民族がいるところで、武器を持ったヨーロッパ人が特定の民族を支援して、その民族に支配させようとし、民族対立を生み出すというのはヨーロッパ人の得意なやり方です。それは今でも見られます。ヨーロッパの多くの国、ドイツやフランスやイギリスやオランダやイタリアやスペインやスウェーデンが武器を輸出しています。

そして武器で支配しようとしたヨーロッパ人の言語を、アフリカの人たちは今でも子供の頃から覚えさせられています。

武力紛争に日本も無関係ではありません。世界一の軍事大国のアメリカに基地を提供し続けています。今も世界中で多くの子供たちが殺されています。アメリカやヨーロッパの軍隊により、アフガニスタンの多くの子供たちが殺されています。軍隊ではなく自爆テロで殺されることが多いのは確かですが、だからといってアメリカやヨーロッパの国の軍隊が同じように子供を殺して良いということにはなりません。「誤爆」などと言ってごまかすこともありますが、殺される側にとってそれで済むのでしょうか。殺されることが、仕方のないこと、当たり前のことであってはならないと思います。

日本はアメリカに基地を提供し続け、その戦争に全面協力しています。もっぱら自分の国の外で戦争するアメリカは侵略する国です。そのアメリカの軍隊に毎年何千億円という大量の税金を使うことにより、日本に住んでいるというだけで戦争協力者とみなされてしまいます。選挙権のない、何の責任もない日本の子供たちにとっても、アメリカの侵略戦争に協力することは決して良いことではありません。せめてアメリカの侵略戦争に協力することはやめるべきではないでしょうか。

侵略戦争をする態度、他の国で戦争の起こるのは構わないと考える態度は、人を対等とみなしていない態度です。アメリカの人は、自分の国が戦場でないから罪の意識もありません。

他人を人とも思わない態度というのは、身近なところでは、原発の問題についてもそうです。原発を推進する人たちは、自分や自分の家族が被爆したらということを考えているのでしょうか。九州電力の「やらせ」などは『しんぶん赤旗』のスクープがきっかけとなって、次々と広く知られるようになりましたが、大量の金をばらまき、買収して、原発の安全を信じ込ませるという電力会社のやり方は、他人の命を思いやるという態度が欠けています。関西電力は、原発再開に全力をあげる、とこの前見たチラシで言っていました。

大阪の府知事の橋下徹さんについても言っておきたいと思います。橋下徹さん率いる維新の会には、池田から選ばれてしまった府議会議員の奥野康俊さんも含まれます。その維新の会は君が代起立条例を強行可決させました。九月には、君が代を歌う際に起立しない教員を懲戒解雇する条例案の提出も狙っています。立場が上の人の命令には、自分の良心に反することでも従え、という態度は、軍隊のやり方、戦争と直結するものです。これを子供のいる場で見せびらかそうというのが橋下徹さんのやろうとしていることです。橋下徹さんは、「今の政治に必要なのは独裁」とまで言いました。こんな馬鹿なことを言う人を絶対に選んではならないと思います。

私は、子供が殺されない世の中を望みます。子供が、馬鹿な大人の命令に従わなくても生きていける世の中を望みます。

以上です。

お世辞かどうか知りませんが、非常に若い人から感動したと言われました。嬉しかった。

2011-08-08

ピッピの引用

以下は私の言いたいことを表現するための単なる部分的な引用であり、正確な引用でもないので、著作権者のアストリッド・リンドグレーンさんの子孫の許可を得る必要はないと考えます。

スウェーデンのお話です。

あるところに、ピッピ・ロンストルンプという九歳の女の子が住んでいました。一人で住んでいて、学校にも行っていませんでした。

町のおばさんやおじさんたちは、「これは良くない」「叱る人がいなくてはいけない」「学校にも行かなくてはいけない」「かけ算の九九も習わなければいけない」と話し合いました。「かけ算の九九を習わないと生きていけないのだから」と。

ブルムクヴィストさんとルンディーンさんが代表者に選ばれて、ピッピに孤児院に入るように伝えることになりました。

ピッピはその日しょうが入りクッキーを作っていて、台所の床に生地を伸ばしているところでした。生地が大量だったので、台所の床に直に伸ばしたのです。

玄関のチャイムが鳴り、ピッピが体中小麦粉でまっ白で出て行くと、ブルムクヴィストさんとルンディーンさんが玄関の中に入ってきました。

「こんにちは。ヴィッレクラ荘に引っ越してきたのはあなた?」とブルムクヴィストさんは言いました。ヴィッレクラ荘というのが家の名前でした。

ルンディーンさんはピッピを上から下まで眺めると、ピッピの赤い髪の毛についてこう言いました。

「ブルムクヴィストさんはこんな髪の毛を見たことありますか。大きくなったらましになるかもしれないが、今はきれいではとてもない。」スウェーデンでは金髪が普通だったのです。もっとも、ルンディーンさん自身は頭に毛が全くありませんでした。

ピッピはこう言いました。

「私考えてるんだ。」

「何を考えているんだね。」とルンディーンさんは言いました。

「髪の毛のことだけどね。あなたの毛は、髪の毛があった頃には、何色だったのかなって。たぶん青色かな。でもそれとあなたの赤い鼻と、何という組み合わせだろうって。」

ルンディーンさんは顔を真っ赤にして怒りました。大人は子供に対して何を言っても構わないと思っていたけれど、子供が同じようにするのは気に入らなかったのです。

「そんな恥知らずなら、ムチで袋叩きにしてやるぞ。」

「それは楽しみ。私フィンランドでムシブロに入ったことある。すごく良かったよ。」

ブルムクヴィストさんが割って入って、自分たちが来た理由を話しました。町の親切なおばさんやおじさんたちがピッピを子供の家(孤児院)に入れるようにしてくれた、と。

ピッピは言いました。

「でも、私子供の家にはもう入っているよ。」

「本当?もうそうなっているの?どこの子供の家?」

「ここ。」とピッピは言いました。「私は子供で、これは私の家。だからこれは子供の家。空きも十分あるよ。」

ブルムクヴィストさんとルンディーンさんは寛大に笑いました。

「あなたは分かっていないよ。ちゃんとした子供の家に入って、面倒をみてもらわないと。」

「馬は入れるの?」とピッピは聞きました。

「もちろんだめだよ。」

「そうだと思った。でもサルは?」

「もちろんだめ。」

「そう、なら、どこでも好きなところであなたたちの子供の家に入る子を見つけたら。そんな子が見つけられたらね。私は入らないから。」

「うん、でも、学校には行かなくちゃならないでしょう。」

「なんで学校に行かなくちゃならないの?」

「もちろん、いろんなことを勉強するためだよ。」

「どんなこと?」

「あらゆることだよ。役に立つことをいっぱい。かけ算の九九とか。」

「私はかけ算の九九がなくても九年間うまくやって来れたよ。だから、また九年間それなしでやって行こうと思っていたところ。」

「でも、考えてみて。大きくなって、誰かにポルトガルの首都はどこって聞かれるかもしれないよ。そのときにあなたは答えられないよ。」

「私は答えられるよ。あなたがそんなにポルトガルの首都がどこか知りたくてたまらないんだったら、ポルトガルに直接手紙を書いて聞きなよって答える。」

「でもあなた自身が知らないのは嫌だと思わない?」

「それはそうだよ。夜、横になってたまに泣いて、『ポルトガルの首都はどこだろう』ってずっと悩んでるかもしれない。でも、楽しいことばかりじゃないから。」

ピッピはそう言うと、逆立ちをしました。それでもしゃべれるからです。

「それに私リスボンには行ったことあるし。」

しかしルンディーンさんは完全に怒ってしまっていて、とびあがると、こう言いました。

「こんなしつけのなっていない子は初めてだ。でも子供の家には行かないといけないぞ。行きたくなくてもだ。」

ブルムクヴィストさんも怒って言いました。

「そう、そこで行儀良くすることを覚えなさい。」

ピッピはこう言いました。

「私の庭からの眺めは気持ち良いよ。なかなか他では見られない。見たい?」

そう言うと、ピッピは力が強かったので、ルンディーンさんをつかんで、人形のように軽々と運んでいきました。それから驚きで固まっているブルムクヴィストさんをつかむと、同じように庭に運んでいきました。

「ちょっと待ってて。」とピッピは言うと、家の中に入って、ハート型のショウガ入りクッキーを二枚持って来ると、ブルムクヴィストさんとルンディーンさんに渡しました。

「少し味見してみない?少し焦げてるけど気にならないでしょう。」

ブルムクヴィストさんとルンディーンさんはしばらく動けないでいましたが、それから庭からさっと出て行きました。

ピッピはクッキー作りに戻りました。